afternoon life

悩み多き人生ですが、残りの半生を楽しく意義あるものにしたいと思い、綴っていきます。

新しい時代の幕開け

まだ明けていませんけどね。それでも何だか期待でいっぱいです。良い時代になることを願っています。

 

でも批判が一部あるようですね。批判はね。別にあっても良いと思うんですよ、僕は。

古代ギリシャ哲学(というか学問の始まり)もそうでしたよね。万物の根源(アルケー)は水である(タレス)、いやいや空気でしょ(アナクシメネス)、違う違う原子(アトム)だ(デモクリトス)。というふうに、批判あってこそ人類は進化を遂げてきたのだと持っています。

でも批判は意義のある批判であるべきだとも思うのですよ。つまり、批判を受けたらそれについて検討するに値するものでなければならないということです。こじつけや、自分のような学の無い人を誘導するようではいけません。無論、自分の知識が及んでいないか、まず学んでから批判をすべきでしょう。

福田元総理大臣がオリンピック出場選手の表敬訪問があった時と記憶しているのですが、その際、福田氏は「せいぜい頑張ってください。せいぜいね。」と言いました。

この「せいぜい」という言葉に大きく批判が上がったわけです。

せいぜい(精々)とは「できるだけ~」とか、「精一杯」という意味がある一方、「たかだか」とか、「多く見積もっても」という意味があります。この後者の方しか言葉の意味を知らない人が批判したわけですね。

あ~、恥ずかしい。

今回「令」という文字を批判した石破茂氏や、社民党(もう絶滅していたかとおもっていました)の党首が「命令」という言葉を出して批判しました。

自分もこの令という文字に詳しくなかったので、久々に漢和辞典を引っ張り出しました。父から譲り受けた本で、娘の名前を決めるときも使いました。

で、「令」ですが、命令に該当するのは、いいつけ、戒め、とかの意味を拾った形ですね。でも辞書で調べてみると、どちらかというと良い意味に用いられる言葉の方が多いみたいです。

令人:良い人、りっぱな人

令実:めでたい日、吉日

令月:よい月

令夫人:良い夫人

令名:良い評判

令辰:めでたい日(令節)

令典:りっぱな法典

令妻:良き妻

令胤:良い跡継ぎ

令称:良い評判

令誉:良い誉、名誉

令猷:良いはかりごと

ざっと書いてみましたが、単に良いというよりかは、品を伴った良さという印象を受けました。

ドナルド・キーン氏が存命ならどんな印象を抱かれただろうか。意見を聞いてみたかったなぁ。